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2007/07/06

負のバズマーケティング「暗い日曜日」



バズマーケ(死語?)という言葉を聞くといつも思い出す曲がこれ。「暗い日曜日」

1936年2月、ハンガリーのブダペスト市警が靴屋主人ジョセフ・ケラーの死亡現場を調査中、奇妙な遺書を発見した。自殺したケラーが書き残したその走り 書きのような遺書には、とある歌の一節が引用されていたのだ。自らの命を絶つ者が、辞世の句の代わりとして、愛する歌の一部を引用することは、別に珍しい ことではないかもしれない。しかしこの歌に限っては別だった。その歌は、自殺したケラーのみならず、ブダペスト市警にとっても、特別な意味を持っていたの である。歌の名は、「暗い日曜日(Gloomy Sunday)」。ブダペストでは、既にこの歌に関連した17人の自殺者が出ていたのだ。

はじめは単なる偶然と捕らえていたブダペスト市警も、ここまできて、いよいよ事の重大さを認めぬわけにはいかなくなった。明確な理由は定かではないが、と にかく、相次ぐ自殺事件とこの「暗い日曜日」が、何らかの形で繋がっていることは、もはや否定出来ない事実だったからだ。そして間も無く、当局はこの「暗 い日曜日」の販売と演奏の禁止に踏み切った。それは言うまでもなく、異常な事態だった。単なる音楽が、人を自殺へ追い込む力を持つことを認めたことになる からだ。

世界各地で「暗い日曜日」に関連した自殺が相次ぐと、この歌は、いつしか自殺の聖歌とまで呼ばれるようになった。それはもはや各国の放送局が無視できぬほ ど、大きな騒動となっていたのである。最初に自粛を行ったのは、英国のBBCだった。次いで米国のラジオネットワーク各局もすぐに追従した。フランスのラ ジオ局では、心理学者を呼び、この「暗い日曜日」が精神に及ぼす効果の検証を行った。しかし原因は全く掴めぬまま、ただいたずらに、"犠牲者"の数だけが 増え続けた。最終的に、その数は100人以上にのぼったとも言われる。

「暗い日曜日」は、1933年、ハンガリーの作曲家シェレッシュ・レジェー(レッソ・セレシュ)によって作曲された(作詞ヤーヴォル・ラース ロー)。シェレッシュは失恋体験の後にこの曲を書いたが、もともと世間に発表するつもりはなかったという。それはこの曲が至極私的なものであり、決して誰 にも理解出来ないものだと考えたからである。その様子は丁度、当時の音楽関係者がこの曲を評して言った、次の言葉に象徴されている。「この曲は悲しいなん ていうものじゃない。そこには何か、底なしの絶望を強いるような力がある。この曲はいかなる人に、いかなる喜びも与えることはないだろう・・・。」

しかし制作から三年後、シェレッシュがこの曲をようやく世間に発表すると、"意外にも"この「暗い日曜日」はすぐに大ヒットとなった。このヒットを 喜んだシェレッシュは、すぐさま、曲を生むきっかけとなったかつての恋人に連絡した。これを機会に、もう一度よりを戻そうとしたのである。しかしそこで最 初の悲劇は起きた。シェレッシュからの連絡を受けたその女性は、翌日、遺体として発見されたのだ。服毒自殺した彼女の手元には、ただ一枚の遺書が残されて いた。遺書には、ただこう記されていた。「暗い日曜日」。

霊的・精神原因はさておき、自殺の聖歌という名前と、聞きながら自殺をすることの良さ(?)の一人歩きと口コミは少なからずとも在ったとは思う。

口コミって言葉があるからこそ、こういった考えも浮かびますが、一枚のレコードを媒体の力無しで世界に広めた負の力は興味無くせずには要られないです。

ちなみに作者も自殺で終わります。
ハンガリーの作曲家レッソ・シェレッシュ氏が、昨日、自殺遺体で発見された。当局の発表によれば、先週の日曜、69歳の誕生日を迎えたばかりのシェ レッシュ氏は、自宅アパートの窓から飛び降り、そのまま死亡したという。1930年代、シェレッシュによって書かれたメランコリックな歌曲「暗い日曜日」 は自殺を引き起こす歌として散々な非難を受けた。(…)その悲しい歌は、次の一節で終曲する。

・・・私と、私の心は、自殺を決意した・・・・暗い日曜日

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